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| 2006年12月23日(土) |
| 東京賢治の学校の発表会 |
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今日は「東京賢治の学校」の発表会に行ってきた。前回は本校のホールでの発表会で、狭いホールでの子どもたちの演技に、窮屈さを覚えながら鑑賞させていただいていたが、今回は「多摩教育センター」の大ホールで、子どもたちも広い舞台で、のびのびと演技をしていて、ほんとうに楽しい時を過ごさせてもらった。
「賢治の学校」はいろんな取り組みをしていて、「能」などの日本芸能にも取り組んでいたり、モンゴルの馬頭琴の演奏もあって、ほんとうに楽しい時を過ごさせてもらった。
いよいよ、明日はクリスマス礼拝。神さまの豊かなかえりみを祈るのみ。
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| 2006年12月20日(水) |
| 昭和記念公園の夜のクリスマス |
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昨日、母さんと一緒に、昭和記念公園の夜のクリスマス・イルミネーションを見に行った。
昭和記念公園の目玉は、ワイングラスのクリスマスツリーです。毎年、少しずつ工夫が凝らされた電飾になっている。きれいなので写真に撮っておこうと思ったが、夜間の写真は手ぶれで、写真を撮ることができなかった。やっぱり出かけるときは、三脚を持って出なくてはと思った。
寒かったけれども、しばらく鑑賞をしながら帰ろうと思ったが、母さんは早く帰ろうと急いだ。時々母さんと思いが合わないことがある。
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| 2006年12月16日(土) |
| 昭和記念公園のクリスマス |
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今日は天候も良く、少し昭和記念公園を歩いてこようと、おにぎりをもって出かけた。本当に良い天候で、寒いかと思ってマフラーまでして行ったが、途中でとってしまった。
昭和記念公園では、クリスマス・ランというマラソンの競技があっていて、大勢の人でにぎわっていた。小さい子どもたちの参加の競技もあって、両親の付き添いで楽しく参加していた。クリスマス・ランと言うだけあって、仮装の人たちも大勢参加していた。
自転車で行ったが、駐輪場に自転車をおいて歩き回ったので、自転車で行ったのにしては少し疲れて帰ってきた。
夕方、望君から、永住権手続きの第一段階はパスしたとの電話をもらった。今度は移民局の審査だそうで、後2年くらいかかるかなと言っていた。無事に目的が達成されて、望君が安定した生活が出来ることを祈るのみ。
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| 2006年12月11日(月) |
| 今年初めてのクリスマス |
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クリスマスの期節になって、忙しいでしょうと言われるが、今年はクリスマス・メッセージの準備は一度だけ。こんなことはこれまでに一度もなかった。こんな経験はおそらく、これからもないだろうと思う。現役の牧師職を辞めいない限り。
その中で、今日は西地区牧師会のクリスマスが奥多摩シャーレーであった。少し遠かったけれども、牧師、牧師夫人、その家族で楽しい時を過ごさせてもらった。
皆さんから、体調は、と聞かれたが、いたって元気で健康だと答えるより他ない。感謝なことだと思っている。母さんからは、手術をした病人らしくしなさい、と言われるが、本人は健康人だと思っているので始末が悪い。これはいけないことなのかな。
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| 2006年12月5日(火) |
| 剛君の家でリラックス |
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剛君が月曜日、家におることになったので来てもいいよ、と言ってくれたので、日曜日の礼拝が終わって出かけた。
今回はゆっくり剛君の家でくつろがせてもらった。剛君のログハウスは、白木のいいにおいが立ちこめて、本当に癒される空間になっている。母さんは肩こりが治ったようだと言っていた。それだけではなく外の温度とは関係なく、暖かく過ごさせてもらった。
母さんはいつものように、いろんな食べ物を作って持って行ったが、剛君の生活信条に合わず、また剛君の家での料理作りもIH電磁器を使えず苦闘していた。
今後、剛君の家に行くときは、剛君の流儀に合わせることは大事で、独りよがりをたしなめられたことだ。
剛君のところへ行っても、どこかへ行くというのでもなく、いつも行っている霞ヶ浦総合公園で湖のそばを散策するだけで十分な時を過ごさせてもらった。
先週末は、卒園児のお母さんのコンサートを聞きに、横浜の二俣川のホールに行った。加藤さんは宝塚出身で、昔の同僚と組んでのコンサートで、プログラムも簡単なショー形式。昔懐かしい歌曲で一杯で、楽しいときを過ごさせてもらった。
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| 2006年11月26日(日) |
| 川井さんが立川に |
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八戸の川井さんが、24日突然訪ねてこられた。弟さんが立川に来られるというので誘われてこられたと言うことだった。
ディズニーランドにも行ってこられたそうだ。八戸から車だったそうで、電車だったらやはり立川に来られるのは無理のようだった。
でも、久しぶりにお会いしてお話が出来て楽しいときを過ごさせてもらった。
前日の23日は「東京連合のつどい」で東京に54の教会がある中で。35の教会の人たちが集まってくださって、楽しい有意義な時間を過ごした。今回のテーマは、隣の教会のこと知っていますかということで、そのための資料作りに少し時間をとられたが、楽しく準備をさせてもらった。
健康は大丈夫ですかと言ってもらったが、本人は普段の行動に違和感はなく、そう言葉をかけていただくのが何か悪いみたい。
手術後も順調でこれでいいのかとほんとに感謝している。
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| 2006年11月19日(日) |
| 元気に過ごせて感謝 |
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みんなから、健康はどうですかといわれて、返事に窮している。
というのも、手術後の経過は順調で、一週間後には礼拝説教はもとより、教会の平和祭の行事も無事にこなすことが出来、いまでは元の活動に戻っている。
今日も元気で、手術をした後とは思えなく変わらないと言われて、喜んでいいのか、無茶しすぎているのか分からないが感謝している。
今週はいよいよ「東京連合のつどい」が23日予定されていて、その準備に忙しくしている。大丈夫?と尋ねられるが、本人はいたって平静で動き回っている。感謝の他ない。
昨日は「ゆいまーるコンサート」に心をいやされる時を過ごさせてもらった。アカペラの女声コーラスはきれい。沖縄の三線の合奏もいい。よい時を持たせてもらった。
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| 2006年11月4日(土) |
| 立川国際芸術祭 |
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いま立川では国際芸術祭が行われていて、あちこちでイベントが行われている。もともと立川には町中にいろんな芸術作品があるが、全部を確認したことはない。それを確認するいい機会かなとも思っているが、なかなか出来るものではない。
今日、昭和記念公園の文化ゾーンでギターの演奏があると聞いたので聞きに行った。その間に、町中のいくつかの芸術品を見て歩いた。
母さんが少し歩くことをしなければと、責めたてるので、2日には母さんと高尾山に行った。昨日は調布の野川公園に行った。歩くのは大儀ではないが、一時間歩きづめだと少し腰が痛くなる。これは手術前からのことだが。
今日も歩きづめはちょっと辛い。昼食を早めにして出かけたので、少し早く着きすぎて、芝生でしばらく寝ころんで休息をした。
奈良守康さんという人のギターとソプラノ、ギターとリコーダーの演奏を聞かせてもらって、しばらくの安らぎの時を過ごさせてもらった。
母さんは本当はこの連休は剛君のところへ行きたかったみたいだけど。
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| 2006年10月29日(日) |
| 西南学院大学同窓会 |
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今日は西南学院大学同窓会東京支部の総会・懇親会が渋谷で開かれ参加してきた。
病気がわかって、手術を今月末の予定していて、参加できないだろうと思っていたが、主治医に27日に手術をしようと言われ、退院も早くなったので参加できたことは感謝であった。
今年も「開会の祈り」をさせていただき、総会では讃美歌も歌うなど西南を思い出させるプログラムで始まり、本当に楽しく、来ることが出来てよかったと感謝している。
母さんも一緒に参加した。チューリップの財津和夫氏が来ていて、女性会員だけの写真撮影があって母さんも写った。
渋谷まで電車で行くのが大丈夫か心配であったが、吉祥寺から井の頭線で、始発なので座って渋谷まで行くことにしたので、それほど苦痛ではなかったし自信もついたと言うことになろうか。
同窓会も本当に盛り上がって、楽しい会話の時がもてて、元気づけられた。
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| 2006年10月17日(火) |
| 今日は昭和記念公園へ |
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少しずつリハビリのために遠出を試みている。
昨日は東京地方連合の役員会に参加するために新宿まで出かけた。11月23日に予定している「東京連合のつどい」の最終的相談をしなければならないので、この日は出かけなければと思ってもいた。
母さんが心配なので介添えでついて行くと言って、同伴してもらった。無事仕事も終えることが出来て感謝であった。
今日は、母さんと「昭和記念公園」のコスモスの丘に、コスモスを見に行った。少し遅かったかなとの感がないわけではなかったが、まだ十分に鑑賞にたえた。
「昭和記念公園」は意外と時間を感じさせないところで、思わず歩き回ったみたいで、少し疲れたかなとは感じたが、まだ大丈夫。でも体力の衰えは顕著に感じている。
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| 2006年10月16日(月) |
| 平和祭は大盛会 |
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手術後最初の礼拝、心づもりはしっかりしていたが不安がなかったわけではない。
でも神さまは守ってくださって、無事ご用をはたさせてくださった。感謝の一語。
身体はしんどそうだったが、それは気持ちの問題だから。
平和祭ということで、礼拝堂もサロン風の設定にしたので、これで礼拝をと言われるのかと思っていたが、皆さんには好意的に受け止めてもらえたようでよかった。
新しい教会の歩みに道をつけたかな。
礼拝出席者は80人を越えた。平和幼稚園の卒園児はもう小学上級生。でも父母と一緒に参加してくれ、それに「東京賢治の学校」の子どもたち父母もたくさん礼拝に出席してくれて本当に感謝のほかなかった。
立川教会は、神さまに本当に祝福をいっぱいいただいていると感謝している。
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| 2006年10月10日(火) |
| 健康で仕事が出来れば何より |
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思いもしなかった前立腺ガンの宣告を受け、入院手術した。
このことを主治医の先生から告知され、27日なら手術できるよと言われ、時間的には2週間のゆとりしかなく、深刻に事態を受け止める余裕などなかった。だから今もって明確な実感が自分の中にあるとは言い難い。しかし肉体には明確な手術の記録がある。
このことは、自分にとってはよかったことかも知れない。ご用を続ける上でもプラスに志向するだろうと思っている。
想像だにしたことがなかった病気と手術。本当に人生の中で何が起こるかは分からない。でもすべてをご支配なさるのは、全能の父なる神さま。これからも信じてお任せして生きていく。
これがこれまでの僕の人生。馬鹿だなと言われようともこれしか僕が歩む道もまたない。
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| 2006年9月24日(日) |
| いよいよ入院 |
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明日、いよいよ入院ということになった。おまかせするのみ。
23日が未聖・愛実の幼稚園の運動会だということで、昨日行ってきた。
未聖が鼓笛隊で出るからと言うこともあったので、気分転換がてら出かけた。
天気は快晴であったが、風が強くて砂埃のひどい一日であったが、久しぶりに幼稚園の運動会と言うことで楽しませてもらった。
鼓笛隊のドリルも幼稚園児の演奏としては上出来であった。いくつかのフェスティバルに出るそうだ。
未聖は三連のドラムをよく叩いていて、その成長には驚く他はなかった。未聖のソロ演奏もあって、先生に感謝した。
望君は小学校のブラスバンドだったが、未聖もその方向に行くのかな。楽しみなことだ。
愛実はまだ幼いが、彼女は彼女なりに一生懸命に走り、一番だそうだ。
明日、入院して水曜日に手術だが、まだ仕事から抜けられない。どうゆう人間なのだと自分でもあきれているが、これを取り除かれたら僕はふぬけになってしまうだろう。
ただただおまかせして、明日病院に行く。
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| 2006年9月20日(水) |
| 入院も近くなってきた |
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入院の日が近くなってきた。心構えは出来ているつもりだが。
今日は「オリーブの会」で、ソロモン王の息子たちが国を分裂させた話をしたが、すべてダビデの時もそうだが、親がどのように生きてきたかは本当に大事だと教えられている。
毎日のように報道される子どもたちの事件、その大半の責任は親が大切なことを伝えてこなかった、後ろ姿を見せてこなかったことにあると思っている。そのことを考えるとき、自分はどうかと問われるのです。
この入院をきっかけにいくつかのことを聞かせていただこうと思っている。
前立腺ガンをとれば、それでいいというものではないと剛君に言われた。それ以後の生活が次の出来事を起こす。怖いものだと思っている。
それにしても、留守の間のことをいろいろと心配しなくてはならない性分は、最後までついて廻ることだろうな。
27日の手術が無事に終わることを祈っている。
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| 2006年8月28日(月) |
| 東京賢治の学校の子どもたちの踊り |
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立川は26,27日と立川祭でした。その中で「東京賢治の学校」の子どもたちが、岩手の中野七頭舞を踊るというので見に行きました。
八戸の「えんぶり」に似た烏帽子をかぶっての踊りで楽しみにしていきました。八戸の「えんぶり」は2月に豊作を祈って、農具を持っての踊りでしたが、「中野七頭舞」も農作に関わる踊りで、楽しませてもらいました。
それにしても、踊りの前に、宮沢賢治の「雨にも負けず」をみんなで暗誦して始めるなどはさすがでした。
ところで父さんの、前立腺ガンの検査の結果は、存在すると言うことで10月に入院して手術で摘出してもらうことにしました。ガンはガンだからと、剛君にはいろいろと言われましたが、父さんの今の生活スタイルを変えると生きてきた意味を失ってしまいます。しなければならないことはしっかりします。しかし信じて、これまで歩んできた道をしっかりと歩みたいと思っています。いろいろと心配してくれること感謝します。すべてこれまでと変わらないと思いますので、見守ってください。
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| 2006年8月21日(月) |
| シューラン帰ってきた |
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迷子になったシューランが帰ってきた。第一回の迷子になったときにも警察署に保護されたが、今回も警察署から子犬をあずかっていると電話をいただいてほっとさせられた。。
年取って白内障で、目が白くなってしまって見えなくなった上に、耳も遠くなったので、車にでもひかれていないか大変心配したが、土曜日、日曜日は警察の保護されていたようで本当に感謝でした。
今後はたとえ、庭の中だと言っても、決して鎖を話すことはしないと母さんと誓い合ったことでした。
心配かけました。
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| 2006年8月20日(日) |
| 忙しかった一週間 |
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先週は本当に忙しかった。
12日に、長い間、特養老に入っておられた星野さんが天に召され、葬儀のための準備に追われているときに、守の家族が来た。楽しみにしていた守たちであったので、出来るだけ未聖、愛実の相手をしてあげたいと思っても、思うようにいかず申し訳なかったと思っている。
その間に父さんは「東京多摩いのちの電話」のNPO法人化の件で東京都に出かけなければならず、一日は母さんが付き合って多摩川で一日楽しく遊んだようだ。
明くる日16日は「サンリオピューランド」に出かけて一日楽しんだ。それも父さんは星野さんの葬儀の件で、後から追いかけていって捜すのに苦労したが、会うことが出来て楽しんだ。
17日に守たちは軽井沢に行ったが、直子も休みが終わって18日には大連の学校に戻った。
やっと落ち着いたと言うことで、母さんと埼玉の「子ども自然動物園」にリラックスしようと出かけたが、大雨で大変な目にあった。でも動物は多くはいなかったが、楽しい自然の中に放し飼いされているというユニークな動物園だった。
ところが、明くる日・土曜日に夕方になって母さんがシューランに食事をやろうとしたら小屋にいないのであわてて捜したが、どこへ行ったのかいまだに行方が分からない。迷子札を着けているので、前回はそれを見て電話をいただいたので、今はその電話待ち。これでシューランが行方不明になったのは三度目だ。年取って目が見えず、耳が聞こえないので心配しているが、守られていることを信じて、祈って待っている。
でも本当に忙しい一週間だった。
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| 2006年8月8日(火) |
| 阿見町の剛君の家 |
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剛君の家に家具が入ったと言うことで、日曜日の礼拝後に阿見町南平台に行った。
でも、まだすべての工事が終わったわけではなく、外回りは今からということのようで、本当にすべてが完成するのはまだ少し先のようだ。
でも入った家具はみんな白木のままで、他では味わえない家だ。本当に山小屋住まいも乙なものでした。
ベットも白木の大きなベッドで、そこに一晩休ませてもらった。カーテンの柄も素敵だと思っていたら、剛君の好みでフランスのプロバンスから取り寄せたものだそうだ。そして縫製は、福岡のカーテン屋に頼んだそうだ。
剛らしい凝り様だ。
そして、昨日は「東京多摩いのちの電話」のNPO法人設立総会で、剛君のところを、剛君の出勤時間に合わせて早く出て帰ってきた。
設立総会も無事に終わって、NPO法人になることが出来たが、これから順調に滑り出すための準備が大変だ。でも仕事と割り切ってやり終えたいと思っている。
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| 2006年8月4日(金) |
| 健康で過ごすことは難儀 |
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あんまり公にしては来なかったが、去年の暮れにPSAの数値が少し高いので検査をしてもらったがよいと言って、立川病院を紹介してもらった。そこでもMRI検査などで、検査手術をした方がいいだろうと言うことで、前立腺ガンの疑いを除くために一週間あまり入院した。MRI検査などでは、1ヶ所その疑いがあると言うことで、生針検査をすることになった。
結果、疑いは晴れたが、今度先生が替わって、また血液検査の結果PSAの数値がまた少し高くなったので、もう一度検査手術をした方がよいと言われた。また入院しなければならないのかと気が重かったが、今度の先生は日帰りで僕はするよと言われて、2日に手術台の上にのった。
今回は麻酔はないと言われていたので、その痛さが分からなかったが、手術台と言うよりも診察台の上にのって、エコー撮影のためのカメラを挿入されて、細胞を14ヶ所切り取られた。前回は16ヶ所と言うことであったが、やはり麻酔をされていないだけ痛みを直に感じて気持ちのよいものではなかったが日帰りであったことは大変助かった。
検査の結果は21日でなければ分からないが、おそらくガンの疑いはないと思っている。
年相応の体調になっていることは確かで、少しペースを落とすことが必要かなと思ってはいるが、気持ちがそれについていかない。
今日も「いのちの電話」のNPO法人化の準備で事務局長と打ち合わせに国分寺に出かけた。7日に設立総会をすることになったが、良い結果を期待している。
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| 2006年7月22日(土) |
| 剛君の家に |
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今日、剛君が新しい家に引っ越しするからと言っていたので、阿見町の新しい家に行った。
一応、剛君の誕生日の20日に引き渡しは終わったそうだが、まだすべてが終わってはいないので、引っ越しの手伝いはいらなかった。けれども一応完成した新しい家の中に入って見せてもらった。丸太ではないがまさしく、丸木小屋風の素敵な家だ。おそらく都会では建築されない家だろう。お隣の奥さんたちが、究極に住んでみたい家だと言っていたそうだ。
確かに、すべて丸木以外のいかなる建材も使用していない木の家だ。ぬくもりのある家だ。住友林業などで宣伝している木の家とは基本的に違う、本物の丸木小屋だ。建材はすべてスエーデン直輸入だそうだ。建材だけでなく家具類もそうだそうだ。台所のオーブンも食器洗い機も、そして調理器はIHクッキングヒーターだが、それもみんなあちら製を使っている。剛君らしい。
今のアパートは13日に引き渡すことになっているそうで、それまでに引っ越しも終わるようだ。完成してからゆっくり泊まり込みで訪ねたい。今日はまだ何もなくて、床にゴザを敷いて、座ってお昼のおにぎりを食べた。
完成してからが楽しみだ。それにしても剛君は素敵な家を建てた。
守君たちの家も都会の中での素敵な家だが、環境が違うので比べること自体が無理だ。
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| 2006年7月18日(火) |
| 梅雨なのに毎日あわただしい |
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まだまだ梅雨が開けそうにもない毎日が雨の日だ。昨日は直子がやっていたピアノ教室の発表会だった。このピアノ教室は森田先生が後を引き受けてくださって、内藤先生と一緒の発表会で今年は5人の発表会だったが、続いていることは感謝だ。
発表会の後、池袋近くの教会で山本則子さんが所属しているコーラス・グループの演奏会があるので出かけた。少し遅れたが、心静かな時を過ごさせてもらった。
そして今日はまた、幼稚園の廃止手続のための書類に印鑑をもらうため、浦和の連盟事務所に出かけた。幼稚園をやめるのも大変だ。
まだまだ、年に似合わずあわただしい毎日を過ごしている。
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| 2006年7月6日(木) |
| 町田集会のこと |
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今日、中村支那子夫人と会って、天野政昭先生が町田集会のお手伝いが出来る体制を確保した。
経堂教会を出た方たちが、信仰を確かなものとし、教会生活が出来ることは大変うれしいことだ。このことが支那子夫人の経堂教会への思いの踏ん切りになることを祈らざるを得ない。
確かに経堂教会は三郎先生が心血を注いで開拓された教会で、思い出の多い教会です。でも、神さまのもの。
僕も、今もって八戸教会の皆さんの暖かさに甘えて、懐かしい思い出を暖めているので、支那子夫人のことが分からないでもない。
支那子夫人のことはなかなか理解してもらえないが、これも僕のお節介かなと思っています。
府中の歯医者へ行く途中に、「郷土の森公園」そばの「大賀ハス」を見に行った。大賀ハスは、縄文時代の古代ハスから咲いたもので、全国で花を咲かせているが、府中のもその一つ。そして府中は大賀博士の晩年をすごされた土地である。その花が少し咲いていたが、何となく寂しいと思っていたが、理由が分かった。
これまで僕が見てきた昭和記念公園のハスはハスでも睡蓮で、ハスとは種類が違うと言うことだった。今、阿見町のハスも花が咲いているのだろうか。
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| 2006年6月28日(水) |
| 少しは外で |
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「お籠もりばかりで」とよく母さんに言われるが、そういうつもりではないけれども、ついパソコンに向かって文書を書いている時間が多くて、外から見ればそう言うことになるのかなと思っている。
どうしてそうなのか分からないが、とにかく書き物が多い。ほかの牧師先生たちもそうなのかなあ。
そうゆうわけで、僕はパソコンでゲームをしたことはほとんどない。そう言う意味ではパソコンは僕には文書作成機だろうな。インターネットも大事な道具だが、それも同様の理由による活用である。
だから、出来るだけ頻繁に外出することでその遅れを取り戻すことも大事な仕事と思っている。昭和記念公園の散歩はその意味で格好のところだ。
昨日、僕の前を歩いていた年配のご夫妻は、昭和記念公園を定期的な散歩のコースとしておられるようで、道順も決まっているような話を仲間の方と話されていた。
たしかに緑の森を、四季折々の変化の中を定期的に歩くの一案かも知れない。
でも、今から暑い夏にかけては、花はなく、改修工事があちこちであっていて、少し風情を欠く感がないではない。
今もそれほど、花木に恵まれているわけではないが、ハスの池と菖蒲の池は楽しめる。そして意外であったのがハーブ園のいろいろなハーブの花。香りも良く素敵だった。
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| 2006年6月20日(火) |
| 結婚して46年 |
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昨日は僕たちの46年目の結婚記念日であり、直子の31回目の誕生日でした。直子も大連で元気に教員生活を送っているみたい。
立川に来ても26年目になって、年月だけは確実に増えていきます。それに見合った出来事を残すことが出来たか。そんなことを考えて何になると言いながら、何かを残したいと思っている愚か者です。
すべてを通して、神さまの栄光が表されればと語りながら、自分の成果を残そうと思っている愚か者です。
そんな者も守られて73才になりました。日曜日に目白ヶ丘教会で先輩の副島さんと会って懐かしい昔話をしました。ほんとうに思い出話が楽しい年頃になったのですね。
でもまだまだやりたいことがあって、少しストレス気味かな。頭をゆっくり休ませることが出来るときは、最後の時かも知れない。
それにしても、立川の変わりようは早い。立川駅が三鷹から立川までが高架線になるの合わせて、南口にホテルも入る新しい駅ビルが建つ。その工事が始まった。
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| 2006年6月4日(日) |
| 深大寺植物公園 |
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昨日は何かと忙しい一日を過ごしたが、楽しかった。
朝早く、「東京賢治の学校」の子どもたちの発表会に出かけた。6年生のアイヌの民話にもとづいた物語のミュージカル風の劇を楽しく鑑賞させていただいた。一般の学校では出来ない「東京賢治の学校」の一端に触れさせていただいた。
和太鼓、ピアノ、バイオリン,マリンバなどの楽器でバックミュージックが演奏されるなど、他では体験できない独特の教育の作り方はひとつのあり方だろう。
それからすぐに、三鷹教会の協力牧師である草島 豊先生の結婚式に参加して、帰りに昼食をと帰り道だったので「深大寺そば」を食べた。前が深大寺植物公園だったので、入って「バラフェスティバル」でバラ園に行ってきた。
前に西武ドームで行われていたバラ展とは違った趣で、やっぱり屋外に咲き乱れているいっぱいのキレイなバラを堪能してきた。来ている人も多かった。やっぱり美しいものは美しい。
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| 2006年6月1日(木) |
| 久しぶりに遠出の散歩 |
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最近は時間がとれなくて歩いていなかった。昭和記念公園にも先だってやっと散歩に出かけたところだった。
昨日、今日の天候があまりよいので久しぶりの遠出の散歩とした。
自転車で出かけることにして、府中の郷土の森まで多摩川沿いのサイクリング・コースを走ることにした。40分ほどの道のりであった。郷土の森の横の「いこいの森」にハス博士・大賀一郎博士のハスの花を見たいと思ったがまだ咲いていなかった。
その道程で、なにかの発見があるかと思っていたが、思いがけない麦畑に出会った。それほど広い田んぼではなかったが、この頃珍しいと写真を撮った。
昨日、直子から電話があった。中国での教員生活が2ヶ月になったが、まだ模索中のようだった。守られることを祈るだけだ。
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| 2006年5月30日(火) |
| サーバーの変更 |
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今までのサーバーが使えなくなったので、同じドメインでサーバーをヤフーのウェブホスシングを利用することに変更したので、移動がまだすべて終わっていません。
ただ、この「日記」だけはとりあえず移動しました。
28日の日曜日には、立川教会の日野神明伝道所に主任牧師を迎えることが出来て、就任式をしました。
一つ、肩の荷を下ろしましたが、これからのサポートも必要にはなってきますが。
剛の新しい家も少しづつかたちが見えてきてうれしいですね。
母さんはもう、未聖たちに会いたいと言っています。直子も元気で教員生活をやっているかな。大連に行きたいと言っています。
この夏はどんな日が待っているのかな。
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| 2006年5月22日(月) |
| やっと写真集を |
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久しぶりに写真集を更新追加した。
あまり写真集にするほどの写真を撮ってこなかったと言うこともあるが、更新する時間がなかったというのが本音かも。
とにかく、雑事で時間が足りないくらい。いろんなことを頼まれ、たやすく引き受けると言うこともあり、少しやり過ぎの感あり。
でも、忙しいのはうれしいこと。
本職も大切にしなくてはと言われるのかも。
ところで、剛君の新しい家が阿見町に出来つつある。楽しみだ。
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| 2006年4月28日(金) |
| いそがしいね |
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一ヶ月ぶりの日記になってしまった。
でも、やめたらおしまいだから。
守君のブログに刺激されて、情報発信はまめにしたいと思っている。
イースター礼拝は、ほんとうに多くの方たちと守らせてもらいました。教会の教育館を使ってもらっている「東京賢治の学校・たんぽぽこどもの園」の子どもたちと保護者の方たちも出席してくださって、楽しいときを過ごしました。
同じような合同礼拝を「母の日礼拝」でも祈っています。
春になって、今年も母さんと一緒に「昭和記念公園」のチューリップ・フェスティバルに行って来ました。相変わらずチューリップ畑はすばらしいですね。
未聖や愛実たちにも見せてやりたいと思ったことでした。でも普段の日に来ることは難しいので残念です。
教会も新しい年度になって、何か動きが出てくることを期待しながらご用をさせていただいている。
日野神明伝道所に牧師が赴任して、一段落。
あと、今かかえている仕事が、「東京多摩いのちの電話」のNPO法人化の問題。いつの間にか全責任を負った形で推進することになってしまったが、七月には決着させられるかなと期待している。
「東京地方連合」の活動も目鼻を付けることができるように、今年が勝負かなと思っている。
自分で忙しくしている面がないでもないが、自己満足に違いないとは思っているが、充実した毎日を過ごさせてもらっている
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| 2006年3月21日(火) |
| ひさしぶり |
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やっぱり日記は僕には不似合い。
プログを始められる牧師先生が増えてきたが、とても毎日書きつづることは想像すらできない。。
確かに、毎日起こっている出来事が多くあるが、それを記録して日記を書くのは、やっぱり僕には似つかわしくはない。
でもこれまでの日記は、よい記録になっていることは確かだし、まとめ書きの日記を続ける。
身体的に、時間的に忙しいのではなく、考えをまとめるのに忙しい。文筆家ではないが、文章を書くと言う仕事が僕の仕事になってしまっている。
それを考えると、雑文ばかりだけれども、大変な量になっていて、まとまって書ければ、一冊の本の出版することもできそうだ。
幼稚園を廃止して二年になった。いよいよ、新しい活動が始まる。それは、教室を「NPO賢治の学校」幼稚部の教室として賃貸しすることになったことだ。
全く、教会とは関係のない団体に貸すと言うことの是非もあろうかと思われるが、教会が地域社会との接点となるよい機会だと思っている。
神さまのよい示唆をいただいて、教会の前進を期待している。
直子が、これまでに願っていた働きが実現して、四月から中国・大連日本人学校の教師として旅立ちする。祝された働きとなることを心から祈っている。
昨日は日野神明伝道所の篠原牧師の引っ越しであった。ちょっと訪ねたが、まだだったので「府中郷土の森」の「梅まつり」に梅見に行った。満開を少し過ぎていたがいい香りを楽しんだ。
いよいよ春間近。
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| 2006年2月8日(水) |
| 日記書くって大変 |
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一ヶ月ぶりの日記になる。もともと三日坊主だったからこうなることは分かっていたが、記録と様子を知らせるために始めたのだから、まあいいかと思っている。
それにしても、年明け早々からあわただしく、一月が過ぎてしまった。
写真集にも、少し新しくしなくてはと思っているので、追加をしようかなと思っています。
昨日、八戸の太田のおばあちゃんが天に召された知らせを聞いて、驚いています。二年前には元気で話をしたときの様子を思い出していました。
八戸の皆さんの様子、もう20年を過ぎても、親しくお交わりさせていただいていること、ほんとうに感謝です。
東京も、雪が降ったりとまだまだ、春は遠いようですね。昨年に比べると昭和記念公園の梅もまだ固いつぼみだし、福寿草もやっとまばらに花が芽を出したばかり。
いろんな意味で「はやく春よ来い」です。
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| 2006年1月9日(月) |
| 2006年を迎えて |
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新しい年2006年を迎えて、元日が日曜日で、本当にあわただしい年明けでした。
教会の仲川三郎さんが暮れの29日に逝去され、30日・前夜式、31日・告別式と年末を送っての元日でした。こんな正月は二度とないだろうな。
そのために、いつも正月に来ていた守の家族にも予定を変更してもらって、3日から未聖、愛実たちがやってきた。
彼女たちが日一日成長している姿は楽しみだ。守も忙しそうだが、しっかり家族を守っている。感謝です。
日記は、もともと苦手であったことは確かだが、新年になってやっと書けた。
守の家族が帰ってすぐに、父さん、母さんの友だちの都さんのご主人が6日に亡くなられ、年末年始の関係で告別式は10日になったり、「いのちの電話」の大切な委員会を終わってほっとしていると、、教会員の野津さんが容態が良くないと電話をいただいて群馬県の伊勢崎まで行ったりと、新年早々から走り回っているのが、新しい年の初めです。
今年も神さまは、まだまだこき使われるのだろうと覚悟をして新年を迎えています。
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